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2017/10/19

『できない刑事』×早稲田リンクス特別企画、五週連続インタビュー掲載!

 

 

11/17から11/20にかけて次回公演『できない刑事』を控える学生劇団てあとろ50’。 今回の企画では、現役てあとろ50’所属「できない刑事」主催者である黒澤優介と共にてあとろ50’出身の著名人の方にお話を伺い、さらに「できない刑事」の製作陣・役者陣にもインタビューを行いました!

第三回は…劇団ラッパ屋の熊川隆一さんにお話を伺いました!

 

 

熊川隆一

1960年1月7日生まれ。劇団てあとろ50‘6期OB。脚本家・鈴木聡、俳優・福本伸一と劇団ラッパ屋を創立。今年1月には新宿・紀伊国屋ホールにて「第43回公演 ユー・アー・ミー?」に出演。来年1月には同じく紀伊国屋ホールにて劇団ラッパ屋第44回公演に出演予定。ラッパ屋の俳優として活躍する一方、高校の教員も務めている。黒澤は高校時代の教え子でもある。

(一部劇団ラッパ屋ホームページより引用)

 

 

黒澤優介

1997 年 5 月2日生まれ。2016 年 9 月より劇団てあとろ50‘43期として現役活動中。2017年 3 月よりジールアビリティに所属し、プロとしての俳優活動を開始。

これまで映画「帝一の國」(2017 年 5 月)、TBS日曜劇場『ごめん、愛してる』(2017年8月)、CM 「保険のビュッフェ」(2017年1月)などに出演。今年11 月の「できない刑事」では主宰・原案・楽曲制作を務め、久保順役で出演予定。また、2018年春全国公開予定の映画に出演が決定している。

熊川は高校時代の恩師。

 

 

 

 

 

黒澤:まず最初に、熊川先生が役者になろうと思ったきっかけは何ですか。

 

 

熊川:源流をたどると幼稚園の頃の学芸会ですね。5歳くらいのとき、地域の500人くらい入る公会堂のホールでこぐまのコロちゃんっていう劇をやったんです。僕はコロちゃんをやったんですね。それで、舞台の真ん中で躍ったんです。すごく気持ちよくて、今でも覚えてますね。言葉は適切かわかりませんけど、エクスタシーを感じました。なんて気持ちいいんだ、って(笑) 今も演劇をやっている理由はそこにありますね。

 

 

黒澤:じゃあ、そこから小学校や中学校のときはどうだったんですか。

 

 

熊川:小学校は一応学芸会があるときは目立ってましたね。中高は男子校に行ったんです。運動部には反発してて、なんでわざわざ汗かくんだって、入らなかったんですね。でも表現できる場もなくて、いわゆる帰宅部でした。ドラマを観たり本を読んだりするのが好きで、大江健三郎とか読んだり、向田邦子とか倉本聰が脚本の作品をずっと観たりしてましたね。それで、今はできないからいつかやってやろうって思いから、早稲田に入って、てあとろに入りました。

 

 

黒澤:なんでてあとろ50‘を選んだんですか。

 

 

熊川:友達に誘われて入ったんです。自分の同じクラスの知り合ったばかりの友達に誘われて、最初にてあとろ50‘に行きましたね。入学してから2週間とかでした。

 

 

黒澤:すごい、早いですね。演劇研究会とか劇団木霊とか、他の演劇サークルは見に行ってないんですか。

 

 

熊川:行ってないです。怖くて。そもそも、演劇の世界に入るっていうのが今よりも敷居の高い事だったんですね。その世界に足を踏み入れてしまったら人間終わり、みたいな。当時は演劇研究会と劇団木霊が2大勢力で、はぐれものとか、アウトローな匂いがプンプンで、怖くて近寄らなくて。でも、唯一てあとろ50‘は間口が広いというか、ハードルの低さを感じたんです。それで入っちゃいました。

 

 

黒澤:てあとろ50‘で初めて舞台に立たれたのはいつだったんです。

 

 

熊川:1年生の秋に大隈講堂でアリスをやりました。鈴木さんの作・演出で。門番か何かをやりました。そのときもエクスタシーを感じましたね(笑)

 

 

黒澤:大隈講堂ってすごく人が入るじゃないですか。緊張はしなかったんですか。

 

 

熊川:1000人くらい入りますかね。緊張はしましたけど、それも舞台に上がった時に感じる興奮の1要素ですからね。どうしよう、どうしようって思いながら舞台に行って、始まっちゃったらほかのことは考えないですね。

 

 

黒澤:熊川先生が現役のころはどういう稽古をされていたんですか。

 

 

熊川:稽古は毎日やってたかな。大体2~3時間くらい、基礎連みたいなものを。箱根山まで走ったり、柔軟したりして、無駄に鍛えてましたね。わけもわからず。あとは、エチュード。台本ができるまではエチュードでやってました。

 

 

黒澤:そのころって、てあとろ50‘特有の練習メニューのエアロビはどうだったんですか。

 

 

熊川:やりました。たしか、自分が大学3年生くらいのころから野田秀樹さんの手法をみんな真似し始めて、体育会みたいな訓練が始まったんですね。それをてあとろ50‘風に落とし込んで作られたんですね。気づいたら誰かがやってました。

 

 

黒澤:エアロビは今でも続いてて、すごくきついですよね(笑) ちょうど熊川先生がいるときくらいにできて、もう45年間続いているのですごく歴史を感じますね。

練習で言うと、台本って練習の時のエチュードを元にして作っていたんですか。

 

 

熊川:そうでもないですね。でも、こんな芝居やりたいんだけどみたいな役者の意見をもとに、こういう設定でやってみようか、みたいなことはしてました。あんまり覚えていないんですけど、密航者たちって芝居をしていたときは、密航する設定でエチュードやるとかしましたね。

 

 

黒澤:てあとろ50‘の講演の練習のときに結構だめだしとかされていましたか。

 

 

熊川:僕は実際に指導というか、演出を受けたのは、鈴木さんと成井豊しか知らないんですけど、あんまり追い込まれなかったですね。鈴木さんは、あんまり追い込まずにその人が持っているキャラをできるだけ生かす感じだったので。当時は人格否定までして強烈に追い込むみたいなことも、一般的にはありましたけどね。でも、成井は若干サドっぽいところがあって、下級生とかにやってましたね(笑)

 

 

黒澤:ちなみに、演劇以外にはどんなことをされてましたか。

 

 

熊川:勉強はしてました。教職もとっていたので、サークルで芝居しながら教職課程もしっかりとって、4年で卒業しました。文学部の授業だったんですけど、一般教養なんかが面白かったですね。哲学とか、文化人類学とか。真面目に授業は出てました。周りの人は、例えば当時の政治経済学部なんかはほとんど授業出てなかったですけど(笑)

 

 

黒澤:芝居もして授業もして、となるとほかのことはなかなかできないですね。

 

 

熊川:そうですね。お金なくて学食で130円のラーメンばっかり食べてました。

 

 

2ショット談笑

 

 

黒澤:アルバイトはされてなかったんですか

 

 

熊川:アルバイトは暇なときだけやってましたね。短期で着ぐるみのバイトとか、照明のバイトとかをしてました。

 

 

黒澤:なんか、演劇に結び付いてますね。

 

 

熊川:そうですね。未だに着ぐるみのバイトのこと覚えてます。渋谷でやったんですけど、パンダかなんか真夏の暑い時期に着たんです。あんな暑い思いしたことはなかったですね。

 

 

黒澤:きつそうですね(笑)

ところで、現在はラッパ屋で活躍されていますが、てあとろ50‘から受け継いだことはありますか。

 

 

熊川:てあとろ50‘ってことでもないかもしれないけど、やっぱり間口が広いみたいなことですね。開かれた演劇みたいな、老若男女のどんな立場の人が見ても面白かったねって言ってくれるようなものを目指してます。

 

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