WASEDA-LINKS.COM

わせにゅーplus

2017/11/01

『できない刑事』×早稲田リンクス特別企画、五週連続インタビュー掲載!

トップ2ショット

11/17から11/20にかけて次回公演『できない刑事』を控える学生劇団てあとろ50’。 今回の企画では、現役てあとろ50’所属「できない刑事」主催者である黒澤優介と共にてあとろ50’出身の著名人の方にお話を伺い、さらに「できない刑事」の製作陣・役者陣にもインタビューを行いました!

 

 

第五回は…てあとろ50’の卒業生であり、現在作家として活躍されている角田光代さんにお話を伺いました!

 

 

 

角田光代

1967年3月8日生まれ。劇団てあとろ50′13期。1990年、「幸福な遊戯」で第9回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。1996年「まどろむ夜のUFO」で野間文芸新人賞、2003年「空中庭園」で婦人公論文芸賞、2005年「対岸の彼女」で直木賞、2006年「ロック母」で川端康成文学賞、2007年「八日目の蝉」で中央公論文芸賞を受賞。他に「マザコン」「森に眠る魚」「くまちゃん」「ツリーハウス」「紙の月」など多数。近著に文春文庫「降り積もる光の粒」(2017年5月)、角川文庫「今日も一日君を見てた」(2017年6月)、新潮文庫「笹の舟で海をわたる」(2017年6月)

 

 

 

黒澤優介

1997年5月2日生まれ。2016年9月より劇団てあとろ50‘43期として現役活動中。2017年3月よりジールアビリティに所属し、プロとしての俳優活動を開始。今期はTBS火曜ドラマ「監獄のお姫さま」(2017年10月17日〜)に刑事役で出演。今年11 月の「できない刑事」では主宰・原案・楽曲制作を務め、久保順役で出演予定。また、2018年春全国公開予定の映画に出演が決定している。

 

 

 

黒澤:本日はよろしくお願いします。劇団てあとろ50’が来年で45周年ということで、OBとOG の西川さん、大森さん、熊川さん、そして角田さんにお話を伺っています。みなさんにお聞きしているのですが、劇団てあとろ50‘に入ったきっかけは何でしょうか。

 

 

角田:もともと大学で演劇をやりたいという希望がありました。最初に演劇研究会を観に行ったのですが、怖すぎたので他の劇団を探しに行きました。劇団てあとろ50‘は授業にも出れるし卒業もできる劇団だと聞いたので劇団てあとろ50‘にしました。

 

 

黒澤:熊川さんも同じことを言ってらっしゃいました。 演劇をやりたいと思ったきっかけは何ですか?

 

 

角田:私は作家になるために早稲田に入ったんです。執筆は1人での仕事ですから作家になったら自分だけで活動することになりますよね。せめて大学時代はみんなでできることをしたいと思ったからです。

 

 

黒澤:劇団てあとろ50’に入ったのは脚本を書きたいからではなくて、役者をやりたいからだったんですね。当時はスタッフのセクション(音響、照明など)は何をやっていましたか?

 

 

角田:私は1年で劇団てあとろ50’から分裂して風力潜水艦という劇団を5人で結成しました。人数が少ないので全員が制作も含めた全ての仕事をやっていましたね。大学を卒業してからも1年間は活動していました。

 

 

黒澤:そうだったんですね。忙しい学生生活を送っていらしゃったのですか?

 

 

角田:はい、ほとんどの時間を演劇と小説に費やしていましたね。小説の授業では実作をしていましたが、それ以外の授業はあまり出ていませんでした(笑) というのも、私は大学3年の時から少女小説の執筆の仕事をしていてかなり忙しかったんです。仕事が始まる前は演劇メインの生活を送っていました。

 

 

黒澤:大学時代からお仕事をされていたんですね。当時の風力潜水艦の活動状況はどういった感じでしたか?

 

 

角田:毎日学生会館で稽古をしていました。活動場所には少し苦労しましたね。当時は学生会館が半分くらいしか使えなかったんです。列に並んで部屋を予約しなければならなかったので、みんなで早起きしていました。夕方の4、5時くらいから夜9時まで毎日練習をしていました。

 

 

黒澤:公演はどこでされていましたか?

 

 

角田:大塚ジェラスホールとかシアターグリーンとか、高円寺の明石スタジオですね。早稲田内ではあまり公演ができなかったので、劇場費をまかなうために全員でバイトしていました。1週間くらいの短期のバイトをして、そのバイト代は全部劇団に吸い上げられていましたね(笑) 年に2回の公演をやっていたのですが、お客さんには結構入ってもらえていました。

 

 

黒澤:今は6大劇団※であれば無料でどらま館を使えるんですよ。(※早稲田大学演劇研究会、早稲田大学演劇倶楽部、劇団木霊、劇団てあとろ50’、劇団森、劇団くるめるシアター)僕たちの次回公演『できない刑事』もどらま館でやるんです。公演のために日々稽古をしています。女優として演じる時はどういう役作りをされてたんですか。

 

 

角田:特には思いつかないのですが、「真面目にやる」ということでしょうかね。当時は身体訓練も含めて結構メニューが厳しかったと思います。大学から江戸川橋までのランニングや大隈講堂の前で基礎訓練をしていました。毎日訓練から始めて稽古に移っていました。当時の方が今よりもきつかったんではないでしょうか。

 

 

黒澤:そうだと思います。今の劇団てあとろ50’では新人訓練を受けて、乗り越えられた人が入団できるんです。入団後は稽古中心なのですが、演劇集団キャラメルボックスボックスのお2人からもお話を聞いて、日々訓練をしたほうがいいなと思いました。エチュードも結構されてたんですか。

 

 

角田:はい。シチュエーションを出されて、一人でやったり、対話でやったりしていました。台本が完成すれば稽古を始められるのですが、台本ができるまではエチュードに時間をかけていました。まず身体訓練を1時間ほどやってから、エチュードや稽古というサイクルでした。

 

 

黒澤:厳しい稽古だったんですね。宣伝も自分たちでやられていたんですか?

 

 

角田:そうですね、宣伝のために立て看板も自分たちで作っていました。 上から紙を貼って作っていました。昔は学内が政治的なものも多くて立て看板で溢れかえっていたんです。明らかに使い終わったものもあったのでそういうものを盗んで(もらって!?)いました。今よりも学内の立て看板はもっと多かったと思いますが、今でも他の大学と比べると早稲田には立て看板が多くて驚きますよね。

 

ピン笑顔

ページ: 1 2


カテゴリー:サークル,ニュース

わせにゅーカテゴリ
 
Twitter Facebook