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vol.4
早稲田祭2016運営スタッフ
歴史認識プロジェクト

『トツゲキ! 早稲田祭スペシャルコラム』第四弾は、早稲田祭中止の謎! 今年で15周年を迎える早稲田祭。長い歴史と伝統をもつ早稲田大学の学園祭ということを考えると、早稲田祭が始まってまだ15年しか経っていないというのは少し不可解である。実は、早稲田祭というのは一度、廃止された過去があるのだ。それにはどうやら、日本史でもおなじみのあの出来事も関わっているようで……。そこで、事の真相を確かめるべく、早稲田祭2016運営スタッフの歴史認識プロジェクトの統括、茂垣貴之さんにお話をうかがった。

――昔、一度早稲田祭が廃止された過去があると聞いたのですが、どういった理由で廃止になったのですか?
「僕たちの前に早稲田祭を運営していたのは「早稲田祭実行委員会」という組織でした。しかし、その早稲田祭実行委員会は革マル派という共産主義の団体と癒着関係にあり、幹部は革マル派の人たちに牛耳られていたのです。そこで、早稲田祭実行委員会は早稲田祭を利用して革マル派の活動資金を得ようとしていました。たとえば、早稲田生や教授でも一冊400円の早稲田祭プログラムを買わなければ入場できず、会計は領収書を開示せず不明瞭であったり、一度、大学側に運営形態の改善を指摘された後も、実際の収入よりも多い金額を予算収入として計上し、その赤字分を大学側に補填させるなどと、早稲田祭実行委員会の運営は腐敗しきっていました。それで、1997年に大学側からお咎めを受けて、早稲田祭が中止になったのです」

――その革マル派というのはどうして早稲田祭実行委員会を支配するまでの力を持っていたのでしょうか?
「諸説あるのですが、1960年代にまでさかのぼると、安保闘争の時代、大学内では様々な政治団体、政治セクトが渦巻いており、学生闘争で大学の中が大変なことになっていました。革マル派はその激しい学生闘争を最後まで勝ち残り、下手に力を得てしまったために、大学に強く当たることができるようになりました。じつは大学側は、早稲田祭実行委員会が明朗な会計を行っていないという問題意識は長い間持っていたのですが、それを指摘すると、革マル派からどういった仕打ちを受けるか分からないので、なかなか改善に乗り出せなかったんです。実際に指摘した教員などは、つるし上げにあったり、誹謗中傷を受けるということもありました。しかし1996年にそういった事態を見かねた当時の奥島総長がしびれを切らして、改善に乗り出し、問題が明るみに出たんです」

――スケールが大きくなってきましたね。まさか安保闘争という単語が出てくるとは思いませんでした(笑)早稲田祭が中止になってから、その後の学生の動きはどうなっていったのですか?
「1997年に早稲田祭を禁止されてからも、革マル派の人たちは第44回実行委員会と称してワセダ・フェスタというイベントを強行し、大学施設の使用に関して東京地裁がでてくるなど、問題があとを絶たなかったのですが、1998年には、正当な運営をしてくれる人たちがいれば早稲田祭を復活させてもいいというように、大学側は門戸を開いている状態でした。そこで「新早稲田祭準備委員会」という組織が現れたのですが、その人たちの中にもまだ革マル派の影が残っているということで大学側に認められませんでした。1999年も早稲田祭復活の提言を募集したものの、大きな学生の動きはなく、97年・98年・99年と三年連続で早稲田祭が開催されなかったんです。もし2000年も開催されないとなると、大学四年間で一度も早稲田祭を経験しない代が出てくるということになります。そこで「今年こそ早稲田祭を開こう!!」といった声がさらに強まりました。 そういった空気のなかで様々な団体が精力的に活動し、最終的には革マル派と完全に隔絶した「新生早稲田祭したくスタッフ」という現在の早稲田祭運営スタッフの元となる組織が結成されたのです」

――ついに運営スタッフの元となる組織ができたのですね。しかし、早稲田祭が復活したのは2002年ですよね?復活の気運が高い、新生早稲田祭したくスタッフが結成された年には開催しなかったのでしょうか?
「そうなんです。新生早稲田祭したくスタッフは、キャンパス内などで集めた11490人もの早稲田祭復活を望む署名を大学に持っていき、革マル派との隔絶を証明したうえで早稲田祭復活を訴えました。しかし、まだ学内にいた革マル派の人たちが、したくスタッフに乗じて自分たちもまた早稲田祭に関わることができるのではないかと考えて、急接近してきたんです。当然、したくスタッフ側は断ったのですが、それが原因で対立関係になってしまいました。このまま早稲田祭を開催すると、対立が激しくなって当日に何が起こるかわからないということで、必死の署名活動の甲斐なく2000年も大学に中止を言い渡されてしまうという悲しい過去があるのです」

――そんなことがあったんですね!?早稲田祭と革マル派の関係はなかなか切り離せませんね。それではどういったことがきっかけで早稲田祭開催の許可を得ることができたのですか?
「今の学生会館は戸山キャンパスにありますけど、昔は、現在の大隈タワーの場所に旧学生会館がありました。当時その旧学生会館が革マル派の巣窟になっていて、それも含めて2001年に現在の学生会館をオープンしました。そこで、大学は新学生会館を記念してWASEDA・EXPOという一種の学園祭を開催したんです。そのWASEDA・EXPOの運営にしたくスタッフが協力したのをきっかけに、運営能力の高さが認められ、革マル派との隔絶も証明されたので、2002年に大学から学園祭開催の許可を得ることができたんです」

――やっと念願の早稲田祭開催ですね。今の早稲田祭の裏にはこんな歴史が隠されていたとは思いませんでした。ところで現在の早稲田祭運営スタッフには、怪しい団体が近づいてくるということはないのでしょうか?
「今のところ聞いたことはありませんね。しかし、そういった可能性も0ではないですから、僕たち歴史認識プロジェクトが、全体ミーティングや内部情報誌で早稲田祭の過去を発信して、早稲田祭を運営している者として昔の過ちを忘れず、危機意識や再発防止の意識を持つことを伝えているんです。早稲田祭運営スタッフの規約の中にも『特定の政治的な思想や主張、宗教を運営に持ち込んではならない』という文言はあります」

――安心しました(笑)。現在の早稲田祭はたくさんの人の努力で成り立っていたんですね。
「早稲田祭は早稲田祭運営スタッフが復活させたんじゃなくて、リンクスさん含め、本当にいろいろなサークルの方が協力してくれて復活できたという経緯があるので、早稲田祭は運営スタッフがやってくれているという意識じゃなく、もともとはみんなで作り上げたものなのだから、みんなで作っていこうという意識を共有できたらいいなと思っています。どんどん運営スタッフに意見を言ってもらって、みんなで作り上げることができれば、当時の早稲田祭みたいに復活するほどの活力に満ちた、熱気あふれる学園祭にできると思うんです。今回、こういう過去があったということを知ってもらうと同時に、早稲田祭はみんなで作ったお祭りだという意識を持っていただければ、もっといい学園祭になるのではないかと思っています」


早稲田祭2016公式サイトhttp://www.wasedasai.net/