ふぉんとってどんな歴史があるんだろう?
〜社会学からみるふぉんとのはなし〜

早稲田大学でデザイン論を受け持っていらっしゃる加島卓先生から社会学、メディア論の視点からフォント、ひいてはタイポグラフィーについてお話を伺いました。

デザイン論ともリンクする内容なので受講生は一読すれば納得! 惜しくも受講できなかった方は授業内容が垣間見れる!

イベント前に加島先生の視点でデザイン、フォントについて考えてみましょう。

 

加島卓先生

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広告クリエイターを経て東京大学大学院へ進学、『〈広告制作者〉の歴史社会学』(せりか書房、2014年、日本社会学会第14回奨励賞受賞作)を博士論文として発表。
社会学やメディア論の視点から広告・デザインを考え、現在は『オリンピックとエンブレム(仮)』(河出ブックス、近刊)を執筆中。
東海大学文学部広報メディア学科で教員を務めるほか、中央大学や武蔵野美術大学でも講義している。

 

————先生はデザインを社会学から捉えていらっしゃいますが、フォントに関してはどうでしょう?

 

フォントは基本的にタイポグラフィーと呼ばれるジャンルで専門的に研究がなされてきました。昔からとてもマニアックな人たちがいて、研究者やデザイナーのなかには書体名を沢山覚え、文字組みの適切さや美しさをとても気にする、専門性の高い世界なんです。

ところが1990年代から2000年代にかけて、コンピューターが普及して誰もがソフトウェアでフォントを選ぶことができるようになったことで、フォントとの接し方が変わりましたね。

最近だと藤本健太郎さんの『タイポさんぽ』(誠文堂新光社、2012年)や小林章さんの『まち文字』(グラフィック社、2013年)のように、街中の文字を特集する本も出ていますよね。そんなふうにフォント名を気にせずに、面白いと感じたフォントを風景イメージのように撮影して、フォントを楽しむようになったのはここ10年くらいだと思います。

いままでは古いよね、と済ませていた、あのラーメン屋のフォントのレトロなところが逆にいいと面白がることができるようになって、フォントも日常会話のネタの一つになりました。ソーシャルメディアとの親和性も高いと思います。

 

————そうなんですね。今回イベントのツイッター(@links_talkevent)でも「まちのフォント企画」を行ってます。
では、そのような日常会話の一部としてではなく、デザインを語るうえでフォントはどういう立ち位置、役割を果たしているのでしょうか。

 

マーシャル・マクルーハンという学者が「メディアはメッセージ」と言っていましたが、まさにフォントはメディアそのものがメッセージになってしまうことがあります。

使う書体を変えれば読む経験が変わることもある。たとえばある名簿が相撲の番付でよく使われる書体で書かれていれば、それは相撲教室の生徒の名簿のようにも見えてくる。つまり書体が持ってるイメージがそのリストの見方を変えてしまうんですね。それを知ってフォントを選ぶのか、知らないで選ぶのかというのにはだいぶ違いがあると思います。

『文字のデザイン・書体のフシギ』(左右社、2008年)という本の「デザインを語ることは不可能なのか」でも述べましたが、自分でフォントをいじったことのある人といじったことのない人では決定的に見え方が違います。書体の選択や文字の組み方など、それぞれに何かしらの理由があるかのように見せることが大切で、ただ文字をコピペしているだけだとアウト。

だから、フォントにデザインのなかで立ち位置があるとしたら、文字にちゃんと緊張感を与えられているかどうかです。つまり読み手に「このフォントの選び方や組み方にはどんな意味が込められているんだろう?」と考えさせられるか、ということですね。その緊張感を表現しているかどうかが解釈の余地に関わってくるのだと思います。

 

————先生も、何か意図をもってフォントを工夫された経験があるのですか?

 

ありますね。今の仕事をやる前に、デザインの仕事もしていました。

でも、僕がグラフィックデザインを勉強したのは1990年代で写植(写真植字)の時代。今のデジタルのフォントとは違います。写真植字の機械を持っている街の写植屋さんに行くんです。書体の見本帳で自分の好きな書体を選んでから、この文字を印画紙に焼いてくださいってお願いすると、文字を印刷してくれるのでそれを買う。その紙をコピー機で写して、写したものをカッターで切って、ピンセットを使いながらペーパーセメントで糊付けして配置をするという時代に、僕はグラフィックデザインを勉強しました。だからフォントというより、最初に僕が触れていたのは写植なんです。

写植からフォントになったときに、自分のパソコンで自分の好きな書体を無限に出せることに衝撃を受けました。とても嬉しかったですね。初期設定で入っているフォントだけではなく、自分で追加していけば他の人がやっていないデザインができるようになるって気づいたんですよ。だから、こうやって見本帳を見て好きな書体を注文していました。そういうのが当時の僕に、「フォントって楽しいな」と思わせてくれました。

 

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————先生の一番好きなフォントはありますか?

 

それがないんですよ。多分社会学をやっているので「一番好きな」っていう発想をしないんですね。

でも、『FUSE』という海外のタイポグラフィーの専門誌の中で、アートディレクターのNeville Brodyという人のblurというフォントがあって、わざわざ大学生のときに一万円くらいのお金を払って買ったので、いつも使っていました。一番思い入れのあるフォントですね。

 

————それはblurの、異なる太さごとに一万円ですか?

 

3つの太さで1万900円ですね。当時は日本語フォントもすごい高かったんです。昔は1書体10万円以上したように思います。だから当然貧乏人は買えなくて、会社にいる人が会社で買ったフォントを使っていました。当時ヨドバシカメラとかで日本語フォントパッケージとかが安く売られてたけど、明らかにダサかったんです。たくさん並べると耐えられない。

文字って、記事みたいに並べると読むに耐えるものと読むに耐えられないものがあるんです。モリサワさんのようなフォントメーカーがビジネスになるのは、長文を読むのにも耐えられるフォントを作っているからです。

当時は『フォントグラファー』というソフトウェアもあって、誰でも書体をつくれたんです。でも本文として並べたときに違和感を感じないものを作るのは難しくて、それをちゃんと作れるのがプロのフォントデザイナーなんですよ。見出し用のフォントは誰でも作れるけど本文用のフォントはプロじゃないと作れないんです。

 

————今回のイベントの到達目標が、学生もレポートなど日常生活の中に取り入れられるようにというものですが、先生はレポートをご覧になる機会も多くあると思います。フォントやデザインに関して何か思われることはありますか?

 

提出されたレポートにレイアウトとかを気にしてるなって人はいますね。

あとかっこの使い方にこだわっている人はたまにいますね。二重かっことか、そういうのを面白がってるかどうかですよね。無意味な山型かっことかね。

 

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あとは初期設定のままで使っているか。ワードの初期設定でやったら、前に使った機能がよくわからないまま引きつがれて書体が変わっちゃった、とか。そういう奇妙なデザインのレポートを見ると本当に僕は萌えますね(笑)

デザインってちょっと不思議で、もちろん綺麗に出来てるのがいいって発想もあるんですけど、ノイズがあるほうが面白かったりするんです。だから、必ずしも上手くやらなきゃいけないというわけではない。でも、そういうフォントを選ぶ楽しさを知っていれば、レポート作りが面白くなったりするとは思う。

そんなに凝ったものをつくろうとしなくていいんです。僕もデザインの研究発表とか普通にデフォルトで出してたなぁ。〆切直前で忙しくなっちゃうと、なかなかフォント選びまで気が回らないんだよね。

 

————先生はこのイベントに対して面白いねとおっしゃってくださいましたが、それはなぜですか?

 

書体を楽しむことは普通の人があんまりやらないことだから、そのことへの気づきを与えるという意味で面白いよね。知らなくてもいいことだけど、知るとすごく理解の仕方が変わる。どのフォントが好きとかそういう話とは別に、フォントを変えることで意味内容は同じでも我々の経験の仕方が変わりうることはメディア論的にも面白いことですし、自分のレポートの書体を変えるだけでそれを簡単に実践することもできる。そういうどうでもいいことを、どこまで面白がれるかなんです。

デザインの上手い下手にこだわらず、そういうデザインの不思議さや正解のなさを面白がるくらいで丁度いい付き合い方を見つけられるといいですね。

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