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合格体験記

合格体験記Vol.47

【ペンネーム】アレックスさん


2014年3月 福岡県立修猷館高校卒業
2015年4月 早稲田大学文化構想学部入学


はじめに


僕個人の考え方として、合格への近道なんてものはあり得ないと思っています。
あるのは不合格への近道のみで、ではどうすれば良いのかというと、その不合格への道を地道に一つずつ絶っていくことだと考えています。
でもそれも決して難しいことじゃなく、多くが「やらないことを決める」だけで済むものだったりします。
この文章に行き着いた受験生の皆さんには、ぜひともこれを合格体験記だとは思わずに、ひとりの人間の、失敗とその過去を如何に反省して次に活かしたかの記録だと思っていただきたいです。
と、こんな前置きをしてしまうと自ら大幅にハードルを上げてしまったことになりそうですが、勉強の合間のひまつぶしにでもなれば幸いです。



早稲田を志望した理由


僕が早稲田への入学を決めた理由は2つあります。
まず一つ目は、高2の秋に知った早稲田祭のゲストで、ceroと細野晴臣という最高にバイブス感じるやつがいたわけよ、そいつらまじすごくてさ、まあおれの拙い文章で汚すのもアレだから今回は割愛するけどね(地元が福岡だったこともあって結局見に行くことは叶わなかったんだけど)。
それを期に早稲田という学校に興味を持って、学部について調べていったってワケ。
そこで文化構想っていう最高にイルでピースな学部を見つけちゃってね、そこからはもう一直線だったよ。
それが二つ目の理由。



高校3年の春


おれは受験勉強へ燃えていた。
どれだけ燃えていたかっていうと、その頃知り合った高校の女の子といい感じの雰囲気になってずっと自分の好きな映画についてLINEしてたくらい燃えてたんだ。
数週間してその子と付き合うことになったんだけど、1ヶ月やそこらであっさり振られちまってサ・・・ そこからは本当に地獄の日々だった。
1ヶ月の間に50本の映画を見て、寂しさのあまり友達に大量のLINEスタンプを送って、午前3時くらいに眠りについて、昼から学校に行く。
そんな生活をしてたから、はっきりいって受験勉強どころじゃなかった。
そこで転機になったのが、フジロックに行くのを決めたこと。
フジロックに行くとなってからのおれは勢いが止まらなかった、あっちのほうの勢いもやばかったけど。



■高校3年の夏


うちの高校は運動会が盛んなんだけど、そこでなにを血迷ったかそこそこ忙しい仕事についちゃってね。
夏はほとんど勉強が手につかなかった。
一応河合塾の夏期講習は受講してたんだけど、あまりに自分の知識が乏しすぎて講師が何をしゃべってるのかがこれっぽっちもわかんないって状況がずっと続いてて、あいつらが話してんのは本当に日本語なのか!?って(英語の講師は英語も話してたけど)、苦痛でしかなかったしはっきりいってかなりの額のお金を無駄にしたよ。



■上京、フジロック


8月の半ば、おれは東京にいた。
親に「大学の空気を感じたいんだ!ついでにフジロックにも行きたい!じゃないとおれはだめになってしまう!行かせてくれたら勉強頑張るから!」とハッタリをかまして旅費を出してもらったぜ。
そしてツイッターで知り合った先輩に戸山キャンパスを案内してもらった。
かなりドープな空間の空気に気圧されて、おれは完全に早稲田に行きたいボーイと化してしまったんだ。
一晩明け、おれは苗場スキー場にいた。
待ちに待ったフジロックだね。
あそこでの体験は、はっきり言ってこの世のものとは思えなかったし、はっきりとした記憶がないよ。
メインステージのヘッドライナーだったThe Cureを、そこで知り合ったブラジルからの留学生の女の子と並んで見たことだけはかろうじて記憶の底にあるんだけど。
そんな夢のような2日間を過ごし、計り知れない受験へのモチベーションを携えたおれを福岡で待っていたのは運動会の準備。
勉強する間もロクに与えられないままなんとなく夏を終え、いつのまにかそのモチベーションもどこかへ消え失せ、気づけば肌寒い季節となってしまっていたんよ。



■高校3年の秋、冬


この時期はマジに記憶がない。
なにをしてたのかほとんど思い出せねえ。
英語についてはほぼ全く対策をしなくてもセンター形式の問題ならなぜか大層な点数を取れちゃってたし、国語も現代文はまあ地頭である程度乗り切れるし、古漢も運次第でそこそこの点を取れる日もあるってことで世界史の勉強だけをそれなりにやってたんだとは思うね。
そんなこんなであっという間にセンター試験がやってきたってワケ。
結果はまずまず。

英語  9割弱
国語  7割弱
世界史 8割弱

トータル8割弱くらいで、センターリサーチでも、最悪ここにいってもいいかな、って学校の判定もそこそこ◎だった。
ここで完全に浮き足立っちゃったのがかなりの痛手だったなって今になって思うよマジに。



■現役時の受験結果


センターをあまり悪くないと思える結果で終えたおれは、遊び呆けた。
とにかく遊んだ。
そして某MARCHの受験に臨んだ。
手応えはあった。
どう考えても、全く対策せずに受けた定期テストでなんとなくイケた気がするときのあの感覚なんだけど、その時は気づかなかった。
あるいは、気づこうとしなかっただけか。
その後の受験も全て同じだ。
東京での受験旅行は楽しかった。
アンディー・ウォーホル展に行き、他にも美術館を巡ったし、先輩たちとカラオケで一晩を過ごすといったこともあった。
早稲田の教育学部受験の前日だった。
実はその間にセンター利用の合否判定が出ており全て不合格だったのだが、後々マークミスにより点数がずれていたことが原因だったことがわかるんよね。
というわけで、おれは周囲の期待を一切裏切ることなく順当に浪人することを決めました。



■浪人の春


おれの浪人は自動車学校から始まった。
父親の「せっかくまだ地元におるんやから、いまのうちに免許とっといたほうがよかろ」の一言で決まっちゃったんだ。
最初の2ヶ月は車校と河合塾という二足の草鞋を履いて生活してたよ。
河合塾では現役時とは打って変わって心を入れ替え、徹底的にテキストを使って生の授業を軸に予習・復習に勤しんでた。
所属してたのは早慶コースで、授業数も国立コースと比べたら少なかったんだけど、それでも予復習だけでわりと手一杯になっちゃって、自分の勉強なんてものはほとんどできなかったね。
システム英単語は夏前までに一応終わらせたけど、河合塾のテキスト以外でまがいなりにも取り組んだと言えるのは本当にその程度。
それと、浪人が始まってから決めてたのは
・予備校に携帯を持っていかない
・家で勉強できないから「これは家でやろう」と思うのはやめて、終わるのなら完全にそこで区切りをつける
・自習室に最後までいると翌日に支障が出るからやめる
・勉強頑張ったら映画は見ていいよ
といったことたち。
このいくつかの、どちらかというと「やらないことを決める」タイプの決めごとのおかげで、夏に入るまではなかなか有意義な時間を過ごせたし、免許も難なく一発で取れた。



■浪人の夏


チューターから与えられた計画表にびっしり予定を書き込み、受講する夏期講習を綿密に決め、しまいに髪を脱色しておれの浪人の夏が始まった。
これまでのおれの人生をまるまる振り返ってもあの夏ほどストイックに勉強した期間はなかったね。
金髪だったけど。
なんだかんだあってサマソニにもいけたし、よいことづくしよ。
いっぱい勉強できて、サマソニにも行けて、これ以上のことってある!??!?なくない!???!?!? ちなみにこのときは河合塾で春に使ってたテキストを何周もしてたよ。
あと講習でもらったテキストも、最低3回は解き直ししたかな。
この頃に、予備校の授業ってのは予習・復習あってこそのものなんだって予感が確信に変わったぞ。
正直に言っちゃえば、バカ高い授業料の元を取るのに必死になってただけなんだけど。



■浪人の秋


ここでちょっとペースが落ちちゃう。
なんとか予復習しながら授業に出ることは出来てたんだけど、どうしたもんかそれ以上はがんばれなくてね。
家に帰ってはツイッターをやってたことくらいしか覚えてないよ。



■浪人の冬


おれはかなり慎重になっていた。
ここにきて自信をなくしかけていたのだ。
ただ、慕う講師の「たくさん勉強してきた人に限って自分の穴がはっきりと見えてしまうせいで不安が大きい」という言葉を覚えていたおかげで、その不安もある種の自信につながるといったよくわからないことになってたんだよな。
とにかく、受験校選びは慎重に進めた。
結果、センター利用で3校、福岡で滑り止めを1校、押さえを3校くらい、そして東京で本命と第二志望くらいの学校を受けることにした。
冬期講習は夏に比べるとかなりダレてたね。
予復習すらままならないほど堕落してたし、ほとんどツイッターをしているか古着屋を回るかパン屋に行ってパンとコーヒーを味わうしかしてなかったんじゃないかな。
そんな状態でセンターを迎えちまったもんだから、どうなることか全く想像がつかなかった。



■センター


これはマジで受験生におすすめなんだけど、試験会場で自撮りをしてSNSにアップすると試験でいい結果が出るよ。
事実センター試験会場で自撮りした俺の結果は

英語    198
リスニング 48
国語    181
世界史   91

といった感じ。
模試でもこんな点数とったことなかったのに・・・ 試験会場での自撮りのなにがいいかっていうと、まず信じらんないくらいリラックスできる。
ほんとに。
あと、周囲に威圧感を与えられるのもデカイぜ。



■私大受験


そんであんまりセンターがよかったもんだから受験校をちょっと減らして本命に専念できるようにした。
東京では早Kしか受けないことになっちゃったわけよ、ナムナム。
まずは福岡で某首都圏の非MARCHのミッション系大学を受験。
受かったって、はっきりわかんだね。
そっから抑え校の受験もヨユーで通過したっすわ。
とは言っても、やっぱり最初の合否発表はドキがムネムネしてたよ。
去年のセンターマークミスのこともあってやべー緊張感の中で確認して、受かってて、こたつの中で喜びかみしめちゃったね。
犬にすげー強く抱きついて嫌がられちゃったよね。
それでその後の受験にもある程度安心して臨めたってワケ。
まあ相変わらずそんなに勉強はしてなかったかな。
というか、ほとんど過去問ばっかり解いてたからそんなに勉強してるって感じがなかっただけなのかも知んない。

てなかんじで福岡での地方受験を順調に終えて、浮き足立ちながらトーキョーへの飛行機に乗ったんよ。
東京での最初の受験が第一志望だったから不安でしゃあなかったな。
そんで、試験の出来も全然だったのよ。
世界史だけ自己採点したんだけど7割しかなくて、こりゃあ困ったと。
もうだめだ次に切り替えようと思うようにしたね。
ここが、浪人のアドバンテージ。
ショックには慣れてんだよね。
次はK大の受験だったんだけどさ、まあリラックスして受験できたわ。
ここだけの話落ちちゃったんだけどね(トホホ)。
あんなくだらない大学どうでもよかったんだ。
まあいまとなっちゃいい思い出。
そのあと早稲田の文学部と人間科学部を受けて、そっちの方は手応え満々だったワケ。
その間に抑えの発表も続々出てきて、全部受かってたから気分は上々よ。
某R大の合格がわかった日、キャンパスを見に行ったのよ。
めっちゃキレイでさ、ここだ、って思ったよね。
んで、翌日の教育学部の受験よ。
一題目から英文が一切頭に入ってこない。
終わった、そう思ったね。
ツイッターで「早稲田 教育」とかでリアルタイム検索して自滅してたし、あとちょっとで途中で帰るとこだった(偉いからちゃんと受けたけど)。

まあ結果ブンコー受かってて最高だったね。
もうこの嬉しさ何に例えようか、まあ最高だった。
あまりの嬉しさに夜遊びしたし、もちろんのこと社学の受験は蹴ったゼ。
ちなみに受験で東京にいる間は、正直ほとんど勉強しなかった。
ちょっと単語帳とか用語集みてただけね。
ただ受験したところの世界史の問題だけは自己採点して間違ったところ復習してた。
これはマジで大事。
プラスで前年の経験を生かして遊びもしなかった。
あ、K大はまったく対策してなかったから前日にちょっとだけ過去問見たね。



■最終結果


中央大学文学部フランス文学科センター利用三科目 ○
立教大学文学部フランス文学科センター利用三科目 ○
明治学院大学文学部フランス文学科 ○(自撮りなし)
法政大学社会学部メディア社会学科(T日程) ○(自撮りなし)
法政大学法学部国際政治学科(T日程) ○(自撮りなし)
青山学院大学文学部フランス文学科全学部日程 ○(自撮りなし)
慶応大学文学部人文社会学科 ×(自撮りなし)
早稲田大学文化構想学部 ○
早稲田大学文学部 ○
早稲田大学人間科学部 ○(自撮りなし)
早稲田大学教育学部英語英文学科 ×(自撮りなし)



■おすすめテキスト等


おれが浪人の一年を通して使ってた教材は、ほとんど河合塾のテキストと補助教材だけ。
他だと、英語はシステム英単語を終わらせたくらい。
世界史の高校で貰った資料集は背表紙がビリビリになるまで使ったかな。
まあほんと河合塾はテキストが最高だからそれを暗記するくらいまでやりこむのがいい。
もちろんちゃんと授業を受けるのが前提ね。
それで、さっきも言ったけど試験会場での自撮りよ。
おれの予備校友達もそれで九大に受かったしね。
騙されたと思って試してみてや。
落ちても責任はとれんけど。



■さいごに


最後になりますが支えてくれた両親、予備校の先生本当に有難うございました。
やはり受験で一番大事なのは、感謝のKIMOCHIをわすれないことだと思います。
私が今この早稲田大学に通えているのはみなさまの支えがあってのことだと思います。
てなわけで俺の体験記はこれにて終了。
ちょっと長かったよな、めんごめんご。






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