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合格体験記

合格体験記 vol.26

【ペンネーム】しめさば

2008年3月神奈川県立小田原高等学校卒業
2008年9月河合塾町田校(早慶上智文系コース・AXクラス)
2009年4月早稲田大学政治経済学部経済学科入学


■早稲田志望理由・時期

高校3年の9月に部活の先輩から早稲田の話を聞き、憧れを抱いた。

■高校時代の部活・期間

高校1年の4月〜高校3年の6月中旬まで剣道部で活動。練習は毎日。

■高1〜高3(夏休み前)−それは黒歴史−

僕が通っていた高校は、地元では名の通るちょっとした進学校だった。元々は私立高校に進学する気でいたが、
公立高校の剣道部の先生に「うちで剣道やらないか」と誘われ、そちらの受験をすることに決めた。
高校入学後は中学3年間の勉強漬けから解放された反動で剣道部中心の生活を送り、全くと言っていいほど勉強はしなくなった。


1年生のときから基本的に授業の予習復習などはやらなかった。 定期試験の前は数時間勉強して、
赤点のちょっと下かその半分くらいをコンスタントに取っていた。 解答用紙に名前だけ書いて試験時間全てを睡眠に費やしたこともあった。
そうした数々の愚行のおかげで高校 3年間の評点平均は2.9という驚異的な数値だった。


高3(夏)〜(秋)−早稲田を目指す−

高校3年の6月中旬に部活を引退し、心機一転して受験モードに突入。
元々は理系だったが、起業や経営に興味を持ち高2の秋に文転していた。まぁ勉強していないのだから理系も文系もクソもないのだが。
私立大というだけで特に志望校は定めていなかったが、9月に高校の剣道部の先輩から早稲田にいるスゴイ人、面白い人、頭いっちゃって
る人、早稲田の魅力などを熱く語ってもらったことで早稲田と早大生に強い憧れを抱き、早稲田商学部を第一志望に定めることになった。
明確な目標ができたことで、勉強により集中できた。

高3(受験前後)−成功、そして大敗−

秋の頃はまだ成績が上がっておらず、10月に実施された河合塾の第3回記述模試では総合偏差値51,5と、早稲田には到底歯が立たない
レベルだった。しかし、年末頃から除々に赤本や問題集の正答率が上がっていき、センター試験本番では成功と言える結果を出した。

2008年度センター試験結果

英語:184点
国語:172点
政治経済:81点

センターリサーチでは偏差値65を叩き出し、センター利用で中央大に合格した。
偏差値65と言うと全然早稲田の安全圏ではないが、10月からの上昇率を考えると、1か月後の早稲田受験時は十分勝負できると
確信した。また、「センター利用でMARCHを取れれば早慶は見えてくる」という話を聞いていたので、中央大合格の事実も大きな自信と
なった。

しかしこの結果を受けて、良い意味での余裕を持つのではなく、安心して気が緩んでしまった。そしてそれまでとは打って変わって、
もっとも重要な残りの1カ月間を大して集中した勉強ができずに過ごしてしまった。

その結果、1か月後―
早稲田 全 敗 。


結果が分かったとき、あまりのショックに吐き気と目眩を催した。というのも、早稲田受験の直前にセンター利用で勝ち取った唯一の
合格大である中央大を蹴っていたため、早稲田全敗はすなわち浪人生になることを意味していたからだ。
「自信あったのに……」合格発表の日から1週間くらいは、あまりの悲しみに家の居間でミイラみたいにずっと横たわっていた。

そして、悲しみとともに押し寄せてきたのは大きな大きな後悔の念だった。
「馬鹿だ。高校の2年半、なんであんな過ごし方していたんだろう。好き勝手部活だけやって。
ただでさえ両親には気を揉ませていたのに、これからまた迷惑をかけるのか。本当に金の掛かるバカ息子だ」。
深い悲しみと後悔に苛まれながら、僕の1度目の受験は終わった。

2008年度受験結果

駒澤大学経営学部経営学科 合格

中央大学商学部経営学科フレックスplus1コース(センター) 合格

中央大学商学部経営学科フレックスplus1コース(一般) 棄権

明治大学経営学部経営学科 不合格

早稲田大学教育学部社会科社会科学専修 不合格

早稲田大学政治経済学部経済学科 不合格

早稲田大学商学部 不合格

早稲田大学社会科学部社会科学科 不合格


浪人時代(3月〜6月)−暗黒時代の始まり−

受験が終わってから一緒に遊んでいた友達は入学の準備をし始め、自分も今後どうするかを決めなければならなくなった。
まず思ったのは、早く浪人生活を終わらせたいということだった。そこで商学部の9月入試合格を目標にすることに決めた。
そして9月合格を目指すにあたり、1年という期間を念頭に置いたカリキュラムでやるのが嫌だったので、予備校には入らないことに決めた。
そこは両親に反対されたが、説得により最終的には呑んでくれた。

3月31日。2度目の受験勉強がスタートした。

商学部9月入試の試験科目は英語、国語(現代文・古典)、小論文の3つで、社会科目はなかった。
しかし、落ちたときのことは考えずにその3科目だけ勉強を始めた。最初の3カ月間は駅近くの喫茶店で平均して15〜6時間は勉強した。
調子に乗って徹夜した日もあったが、眠くなったときはシャーペンを手の甲に突き刺したり、思いきり顔をビンタした。
現役時の失敗の最大の原因は明らかに基礎の脆さだったため、15〜6時間のうちのほとんどを暗記モノに費やした。
また、9月入試の英語は馬鹿みたいに難しく、さらに英語の指定範囲で基準点に満たない場合は英作文とその他の科目を採点して
もらえないので、特に英語の基礎強化を最優先課題とした。そのため、1日の勉強時間の7割くらいを英語の暗記モノに費やした。

浪人時代(7月〜9月入試受験)−再びの敗戦、しかし奮起−

7月の中旬ごろから本格的に英語の長文と現代文の勉強を始めた。英語長文は読んでいてすぐ変化に気付いた。
文法をほぼ完璧に仕上げたおかげで、構文を取る練習などしなくても自然にスイスイ読めるようになったのだ。
また現代文は、現役のころは完全にフィーリングで解いていたが、読解のための一貫した論理把握方法を確立すべきだと思い、
その方法やコツなどが載せられている問題集を買って解いた。古文は古文単語や古文常識を週3〜4日覚えるにとどまっていた。

過去問を解き始めると初めのうちはその難しさに戸惑ったが、英語は繰り返し解くにつれて分量の多さや語意の予想にも慣れ、
8割くらいまで正答率を上げられるようになった。現代文も除々にその傾向に慣れていった。古文はあまり勉強しなかった…。

そして待ち焦がれた9月入試本番を迎え− 不 合 格

再びの敗戦である。 落ちたことも悔しかった。ただ正直、不合格という事実よりも、思う存分力を発揮できなかったという
自分の本番での弱さの方がたまらなく悔しかった。 英語は英作文で“I’m sorry.”しか書けず、小論文は600字以上800字以内のところを
500字程度しか書けなかった。一つひとつのミスでいちいち慌てて、結局良いとこなしのまま試験を終えた感じだった。不完全燃焼だった

しかし、「実力はあったのに落ちた」なんてことは考えなかった。
受験においては、実際に合格する力を含めて実力と呼ぶべきなんだと考えた。
つまり、受験においての実力とは事後的に認めるものだと考えたのだ。だとしたら自分が持っていたものは実力としては
まだまだ未熟なものだったのだ。だったら残りの日数を頑張って合格してみせて、真に実力のある人間になってやろうじゃないか。
早稲田再々受験まで、残り5カ月と少しのことだった。

浪人時代(秋〜冬)−合格宣言−

9月入試に落ちてすぐに、河合塾町田校に入塾した。2月こそ絶対に失敗は許されないという思いと、
偏っていた勉強の進度をバランスの取れたものにしなければ、という思いからであった。
そして、志望学部を変更。早稲田大学政治経済学部
現役時に記念受験しただけの遠い存在であった政経を第一志望に据えた。
「早稲田最難関か…。かっこいいなぁ。今度は、本気で狙おう」 。

予備校に入ってからは4月からすでに通っていた高校の友達と一緒に昼を食べたりして気分転換をする機会が増えたため、
精神的に安定してきた。また、授業に出ている限り3科目まんべんなく勉強することになるので、古典の勉強を大分怠ってきた僕にとって
予備校に入ったのは大正解だった。9月入試に賭けていた僕はこの時期からようやく社会の勉強を始めた。
しかし、暗記量が少ない政治経済を選択していたおかげで、入試までに暗記しきれないという事態にはならなかった。
とは言っても、残り5カ月。当然、政経に比重を置いて、英語の自習時間を減らした。しかし、春・夏の間に半分鬱になりながらも暗記した
おかげで、割と高度な文法知識までほぼ全て網羅し、また英単語も質・量ともに充実していたため「英文法は授業とその予習復習で
おさらい。英単語は1日のノルマを大幅に減らして確認程度。」というスタンスで能力を十分維持できた。冬まではそんな調子で勉強を
続けた。

冬のある日、予備校の冬季セミナーに参加したのだが、その中で氏の激励を聞いて気持ちが高揚し、
帰りの電車の中で家族全員にメールを送った。

僕は、早稲田大学政治経済学部に必ず合格します

すると家族からは続々と励ましのメールが返ってきた。言ってしまった。嘘は付けない。もう引き返せない。
この合格宣言のおかげで最後まで頑張れた気がする。

浪人時代(センター試験〜早稲田受験)−諦めなくてよかった−

いよいよセンター試験を皮切りに受験本番に移っていくが、そこで3つの大失敗を犯した。
そして、そのとき決してあきらめなかったことが第一志望合格につながったのだと確信している。
1つ目はセンター試験失敗である。現役のときと同様ほとんど対策はしなかったが、河合塾のセンタープレ模試で英語と政経は
90パーセント以上取れていたので、それより簡単なはずのセンター本番は満点近く取れるだろうと思っていた。

しかし−

2009年度センター試験結果

英語:168点
国語:126点(200点満点)
政治経済:89点

惨憺たる結果だった
英語も政経も目標得点には遠く及ばず、国語に至っては早稲田受験者の中で最低水準ではないかという出来だった。
センターを重視していなかったとは言え、「早稲田政経なんて言っている場合じゃないんじゃないか」と3日間くらいへこんだ。
しかし、僕は自分自身の言葉を思い出した。「必ず合格します」 「受かると言ったんだ。あきらめられない。センターなんて関係あるか」。
気持ちを切り替えて再び勉強に没頭し始めることができた。

そして2つ目の失敗は、明治大学不合格である。
僕が受験した経営学部は受験を控えていた早稲田の各学部よりも10近く入試偏差値が低く、受験当日まではまさか落ちるとは思って
いなかった。しかも明治不合格が知れたのは早稲田受験のたった2日前のことだったのだ。だが、ここでも屈しなかった。
「僕が行きたいのは明治大学じゃなく早稲田大学。早稲田には落ちていないから落ち込む必要なんてない。早稲田は大丈夫」。

そして最後の失敗は、まさに第一志望早稲田政経の英語の試験だった。
大問5つあるうちの1つをほとんど読まずに試験を終えてしまったのだ。
過去問で念入りに時間配分や解答のシミュレーションをしたにもかかわらず、本番では本調子のスピードで読むことができなかった。
時間が全く足りなくなり、仕方なく大問のほとんどを適当にマークした
終了の声がかかったときは「これはやばい」と思い、焦りでどっと冷や汗が出た。しかし、すぐに無理やり落ち着いて考えた。
「他の大問4つは結構自信があるし、英作文はかなり良く書けたはずだ。そもそもまだ1科目しか終えていない。
仮に英語が6割程度でも、残り2科目で巻き返すことは無理じゃない。これからやる2科目は本気で満点取りに行く気持ちでやろう
そうすれば受かる」そうやって冷静に、かつ強気で、休み時間に自分で自分を励まし続け、この日の試験を闘い抜いた。
この英語の試験であきらめなくて良かったということを、後々心から思うことになる。

2009年度受験結果−人生最大の喜び−

中央大学商学部経営学科フレックスplus1コース(センター) 不合格

現役のとき蹴ったところ。センターがボロボロだったので全く期待はしていなかった。

中央大学商学部経営学科フレックスplus1コース(一般) 合格(奨学生)

河合塾横浜校で受験した。全く緊張せず、問題で難しいと感じるところは特になかった。
しかし、最初の合格だったのでやはりほっとしたし嬉しかった。意外なことに奨学生に選ばれたので、
正直早稲田に落ちてもこれなら行ってもいいかなとも思った。

明治大学商学部商学科(センター) 不合格

こちらも全く期待はせず。経営学部に一般で受かるから問題なし、と思っていた。

明治大学経営学部経営学科 不合格

手応えがなく、いやな予感が的中し不合格。過去問は11月に解いたきりだったことを落ちた後になって思い出した。
それでも実力不足を痛感。

早稲田大学教育学部社会科社会科学専修 合格

試験問題は自分が受けた早稲田各学部の中で一番難しく感じた。しかし、それに従って例年合格最低点が低いことは知っていたので、
そういうものだと割り切って受験した。自信がないわけではなかったが出来栄えは不安だった。

この試験中、左斜め前のメガネ君が頻りに貧乏ゆすりをしていた。ウィンドブレーカーのシャカシャカ音があんまり癇に障ったので、
試験官に注意してもらった。しかし、何度注意されても彼はすぐシャカシャカを再開した。「こんなメガネに受験台無しにされてたまるか」と
思い、「これ以降音を出し続けたら不正行為とみなして下さいませんか」と本人に聞こえるボリュームで試験官に提案してみた。
すると試験官も「わかりました」と本人に聞こえるボリュームで快諾してくれた。以降シャカシャカ音は消えた。

この合格により早稲田への進学が確定したのでとても嬉しかったが、外出中に母に勝手に結果を見られてメールで知らされたので、
なんか微妙な気分になった。

早稲田大学政治経済学部経済学科 合格

第一志望。国語と政経(科目)はまあまあ手応えが良かったが、英語での大失敗がありほとんど諦めていた。
ほんのわずかな期待を抱きながら、恐る恐る早稲田の合格発表ページを開いてみる。ないよな、と思いつつも自分の受験番号を探す。
するとそこに ……見覚えのある数字の並び……。 「……え? 」 思わず目を疑った。 何かのドッキリなんじゃないかと思い、
何度かページ更新をしてみた。それでも自分の受験番号が表示されている。合格したのだ。

ええ!? あったよ!! ……受かってる!! 受かってるうう!! 」 びっくりして大声をあげてしまった。初めは信じられなかったが、
少し落ち着いてから本当に合格したのだとわかり、急に涙が溢れてきた。 心の底から嬉しかった。
たったの19年だけど、人生で一番嬉しかった。 父が差し出してくれたティッシュで、ひたすら涙と鼻水を拭った。

早稲田大学商学部 不合格

赤本同様、商学部は国語の手応えが全くなく、自己採点でもダントツで出来が悪かった。しかし、念願の政経に合格し何も怖くなくなり、
勇んで合格発表ページをクリック。「あれ、ない」なんとも言えない気分に。

早稲田大学社会科学部社会科学科 合格

数年前から政経(科目)が易化していたので、英語が差のつけどころだと思い試験に臨んだ。文法の正誤問題は難しかったが、
時間配分を気にしてあまりこだわらずに解いた。この合格発表をもって、僕の辛い受験生活は終わった。


勉強道具・方法

英語……単語は「単語王2202(O-Method)」に収録されているものを全て覚えた。 多分6000語くらい。
その他、単語王には載ってないけど早稲田で出そう、というものは自分で手のひらサイズのメモ帳を買ってそれに書き込み、
第二、第三、……と単語帳を作っていった。熟語は「解体英熟語(Z会)」を覚えた。文法は「フラッシュ!速攻英文法1・2(O-Method)」で
繰り返し暗記して、そのあとは「頻出英文法語法問題1000(桐原)」で問題演習。もちろん何回か繰り返した。

長文は「徹底英語長文読解(桐原)」でパラグラフ・リーディングとリーズニングを理解・実践。
河合塾に入ってからは単語・熟語の暗記はペースを落として、授業での長文・文法の演習をしっかりやった。
また毎週1回、フェローに英作文の添削をしてもらった。英作文の練習のネタには、過去問だけでなく自分で設定したテーマや
質問も使った。

現代文……現代文は「現代文読解力の開発講座(駿台)」で論理的に、俯瞰的に文章を把握する力を養った。
妙なテクニックや入試現代文の法則などを教えて点取りさせようというのではく、地の論理的思考能力を鍛えることに主眼を
置いて書かれた良書。入試のための付焼刃的なテクニックが嫌いだった僕にはピッタリだった。河合塾に入ってからは授業で
取り扱った問題の不可解な点を納得いくまで講師に個別で解説してもらった。語句は河合のサブテキストでちょろっと確認した程度。

古文……古文単語、古文常識はいわゆる「マドンナシリーズ」で暗記。文法は河合塾のテキストで覚えたが、
動詞の活用などで普段問題を解く際あまり出てこないものは自然に忘れていった。その代わり、助詞と助動詞それぞれの
意味・活用・接続、それらの識別は繰り返し暗記した。読解は完全にフィーリング。

漢文……噂の「早覚え即答法(学研)」のみを使用。9月くらいからセンターまで5、6周した。読解は完全にフィーリング。

政治経済……「政経資料集(浜島書店)」(高校で指定されていた教材。勿論新年度版を新たに買った)を主に使いながら、
畠山のスパっとわかる政治・経済爽快講義(大学合格ドリームチーム選書)」と「理解しやすい政治経済(シグマベスト)
(著者は早稲田政経学部の教授)の2冊で補完する感じだった。用語集は「政治・経済用語集(山川)」と「用語集政治・経済(清水書院)
の2冊を使った。

ここでひとつ付け加えておくと、先ほど政治経済の暗記量は少ないと言ったが、それは用語数の話である。
なぜそんなに覚える用語が少なく楽そうなのに、早稲田において政経が受験科目として成立しているのかと言えば、
それは早稲田における政経の問題は用語に関する理解の深さや推理力を問うものが大方を占めるからだ。
問題の答え自体は政経選択者の誰もが知っているような簡単なものであっても、極端にヒントを少なくしたり、
受験生に全く馴染みのない話題を切り口にして用語を問うため(簡単に言うと無茶振り)、設問としてはぐっと難しくなるのだ。
そのため、政経を受験科目にし、尚且つ早稲田で9割正解を目指す人は、複数の参考書・用語集を使って、1つの用語に関して
なるべく色々な解説に目を通すことをお勧めする。

■最後に

大変長く、また読みづらい文章をここまで読んでくださりありがとうございました。
みなさんもうお分かりでしょうが、僕は決して順風満帆な受験生活を送っては来ませんでした。
最後の最後まで第一志望はE判定でしたし、失敗を繰り返してその度に自分の力の無さに絶望してきましたし、とても辛かったです。
しかし、それでもあきらめず、完全には自暴自棄にならずに勉強し続けたおかげで、早稲田に合格することができました。

ここで僕が受験勉強に関して得た教訓を言わせてもらうと、「最後まで責任感を持つべき」ということです。
受験すると決めたからには、早稲田に行くと言いお金を出してもらうからには、その意志や発言に責任を持って、
必ず合格するつもりでやるべきだと思います。僕は勉強が嫌になり投げ出したくなったとき、いつも机の上に敷いていた自筆の“responsible”という単語を見て、「でも自分には合格する責任がある」と自分に言い聞かせて胃をキリキリさせながら勉強し続けました。

自分で選んだ道とは言え、受験勉強は多くの人にとって本当に辛いものです。
僕は「これ確実に寿命縮んでいるだろ」って疑うくらいのストレスを覚えました。
ですが、第一志望合格までの道のりが厳しければ厳しいほど、それを手にした瞬間の喜びは本っ当に素晴らしいものになります
泣けます。その歓喜の瞬間と、さらにその先にある大学生活に憧れを抱き続けて、辛いかもしれませんが最後まで責任感を持ち続けて、
是非頑張ってください。早稲田で待ってます!





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