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合格体験記 vol.8

【ペンネーム】哀愁

2005年3月 静岡県立沼津西高校卒業
2006年4月 早稲田大学第一文学学部入学


高校1,2年高校3年センター直前から私大滑り止め受験期本命・早稲田大学第一文学部受験合格発表勉強法最後に


■高校1,2年

1,2学期のうちはひたすら部活。授業か部活か睡眠か、という日々を送っていた。そんな時、ある塾の先生が早稲田受験を提案してくれた。当時の成績は得意の英語ですら中の上。冗談だと思ったが話を聞いていると、決して冗談ではないようだった。「今は勉強をしていないから成績も良くないが、真剣にやってみれば」こんなことをぼんやり考えていた。とはいえこの頃の自分は毎日毎日部活ばかりで勉強どころではなかった。

しかし2学期になると熱意が無くなり、冬には部活をやめてしまった。それを機に英単語の暗記を始めた。  
さらに2年生になると文法にも力を入れることにした。夏休みには塾の先生の提案で受験生の夏期講習に参加させてもらうことに。レベル的にも精神的にも辛かった。先生は厳しかったし、遊びたいとも思った。それでも何とか乗り切り、学力も確実に上がった。

夏休み後にはバイトを始めた。一週間のうち3日ほどバイトがあり、勉強できるのは残りの4日。次の模試(この頃は模試を目標に勉強の計画を立てていた)までにやりたいこともたくさんある。次の日にまわしていたら間に合わない。この状況が計画的で緊迫感のある勉強を要求し、僕はそれに応えようと頑張った。バイトを始めることで成績が落ちるのではないかと親からは心配されていたが、成績が悪くなることは無かった。二学期には模試で点が取れるほどになって、初めて模試の英語で校内トップを取ったときはとてもうれしかった。「他の科目でもトップをとりたい」これがこの頃のモチベーションだった。




■高校3年

ついに受験生と呼ばれる時期に突入。一学期は一日4時間ぐらい勉強していたが、焦りや切迫感はなく、休憩時間も長くてまだまだ受験生になりきれていなかった。また生活のリズムも一定でなく、寝不足で勉強に集中できないということも多くあった。学校の担任からもそのことを指摘され、生活習慣の見直しをすることに。結局、テレビは基本的に朝のニュースだけ、テレビゲームは入試が終わるまでやらない、夜は12時にはベッドに入る、というストイックな生活を送ろうと決意した。

気がつけば夏休み。毎日、塾の自習室にこもっていた。夏休みの勉強量は一日あたり約10時間。国語ばかりに重点をおいたために、世界史・英語が計画通りにいかなかった。夏休み明けは夏休みの遅れを取り戻そうと必死で一日5、6時間勉強していた。そうやっているうちに勉強が軌道に乗り始めた。勉強が楽しいと始めて感たのはこの頃のことだ。10月頃からは過去問を解き始めた。第一文学部の問題はどの科目もあまり難しく感じなかった。しかし、そこでさらに気を引き締めた。小さなミスが大きな違いを生み出すように思えたからだ。11月頃、上智大英文学部を第二志望に決定し上智の対策もはじめた。




■センター直前から私大滑り止め受験期

年が明けてからは、主に学校でセンター試験対策を行い、家では私大の対策を行った。センター一週間前になると家でもセンター対策に集中しラストスパート。この時期はセンター当日を待ち待ちわびてイライラしてた。自分の中で準備はもうできていたし、自信があったからだ。そして、いよいよセンター当日。緊張も無く、淡々と普段どおり問題を解く。わからない問題は無視して解けるものから解いていった。結果も目標を超え、まずまずのものだった。

 しかし、物事はそんなにうまくいくものではない。一番つらい時期が来たのだった。センター試験の自己採点の判定結果が送られてきた次の日、僕は起き上がることができなかった。突然、たまっていた疲れがあふれ出したようだった。その日はずっと自分の部屋でぼんやりと考え事をしてすごしていた。

「俺は十分頑張ったんじゃないか。この一年必死で勉強だけして。こんなこと今まで一度も無かったし。その結果、センターで結構いい点とれて、それなりの大学にも入れそうだし。1年のときの成績からすれば、めでたしめでたしじゃないか」

センターが終わって、その結果に満足して、緊張が解けてしまったらしかった。センター利用の私大は大丈夫だろうと高校の担任に言われていたし、その大学だって気に入っていたから無理して勉強して早稲田に入る理由なんか見当たらなかった。確実に受かるというわけでもないのに無理をする必要なんてあるのだろうか。

だけど、諦めるのも怖いと思った。自分が諦めることで家族、塾の先生方、友達や学校の先生方を裏切ることになる。それに早稲田を諦めてしまうことは部活を挫折したことの繰り返しでもある。やろうと決めたことを何一つ最後までやり通せない無能な人間。いや、無価値な人間。そんなふうにはなりたくなかった。いなくなってしまいたいと思った。消えてしまえばなにもかも全部おしまいだ。

 だが、そんなことになったって、それもまた逃げなのだろう。諦めるのとなんら変わらない。結局、自分は最後までやり遂げるしかなかったのだ。応援してくれる人に、落ちたなんて言いたくないし、言えない。ここで諦めるなんて絶対に言ってはいけない。そして何よりも、自分が納得できない。「続けよう。あと少しだ」完全ではないが、気力が出てきたようだった。

次の日からは以前のようにストイックに勉強した。間もないうちに滑り止めの受験が始まり、早稲田の前哨戦と位置づけていた上智大の入試も一次試験を切り抜け、二次試験は手ごたえはなかったがやるだけのことをやった。残すは本命、早稲田のみ。




■本命・早稲田大学第一文学部受験

前日、ホテルにチェックインしてからは赤本の残っていた問題を解いた。その後、オープンキャンパスで手に入れた一年前の試験問題で紙質やレイアウトなどを確認してすぐに寝ることにした。当日のコンディションをよくすることが重要だと考えたからだ。

 試験当日は、かなり早くから正門前で開門を待っていた。門が開くとすぐに自分の受験教室に向かい、世界史の基礎的なことを中心に確認した。実は、早稲田の受験の数日前に上智の合格がわかっていた。「上智が受かるだけの力があれば早稲田も滑り込めるはずだ」精神的な余裕と本命の緊張感がうまい具合に混ざり合っていた。体調も問題なく試験を解くには最高の状態のように思えた。しかし、いざ試験を終えてみると手ごたえ無し。もらった回答速報を見てがっかり。本当に落ちたんだな、と思った。




■合格発表

合格発表の日は公立の前期試験の日だった。静岡県立大学を受けることになっていたが第二志望に受かっていたこともあり、試験には行かずに自宅で早稲田の結果を待つことに。「合格です。おめでとうございます」パソコンの画面にこう表示されたとき、初めはまったく何が起きたかわからなかった。そのあと電話でも確認。それでも実感は無く、自分が受かったと確信したのは合格通知書や入学手続きの書類の入った封筒が届いてからのことだった。




■勉強法

自分がやっていた勉強法を少し書いておきたいと思います。少しは参考になるといいのですが。

<英語>
 英語でやるべきは文法・語彙の2つだけ。文法は問題集を一冊終わらしたあとは長文問題で、訳しづらかったセンテンスをノートに書き出し、主語、動詞、目的語、副詞句、形容詞句など細かく文法的に区切ってから日本語に訳すようにしていた。細かい文法事項は桐原の即戦ゼミを毎日やることでカバーしていた。英単語は基本的に夜寝る前に10分から20分くらい単語帳を読んでいた。1,2年の間にセンター向けの1500語ほどのものを6,7回読んだ。3年になってからは河合出版の「英単語2001」を受験が終わるまで読み続けた。

<世界史>
 世界史は学校の授業のノートを使った。自分の世界史の担当の先生はかなり授業が面白く、ノートも受験に出る用語をよく分析して書いているようだったので信頼して使っていた。勉強法は殴り書きで、ひたすら書き続けた。地域史ではインターネットのサイトを利用したりもした。

<国語>
 現代文は2年生のとき東進の出口汪の参考書に出会い、問題を解く上での考え方を習得した。現代文のとっかかりにはおすすめだと思う。受験前は学校で一文と傾向の似た他学部や他大学の過去問をコピーしてもらい、それをやった。
 古文はまず助動詞すべて覚えてたあと古語・古文常識を増やしつつ簡単な問題集を解いた。その後はZ会の問題集をやった。漢文の勉強を始めたのは高校3年の2学期になってから。英語と文法が似ていたので、結構楽だった。主語、動詞、目的語を見分けられるようになったら、構文を覚える。勉強法まで英語とそっくりだった。しかも、漢字なのでなんとなく意味はわかるし、覚える量も少ないので得点源になった。




■最後に

長々と稚拙な文章を書き連ねまして本当に申し訳ありません。受験生の方、受験は大変ですが、誰でも本気になれば乗り越えられるはずです。苦しいときは無理せずちょっと休憩して、頑張れるときは頑張ってどうにか受かってください。「僕らはこれ以上ないなんて決め込んで本当の力を出せずにいるよ」 レミオロメンの曲の一節です。僕は人より優れた頭があったから早稲田に受かったわけではありません。僕が「1パーセントの可能性を妄信できるバカ」だったから受かったんだと思っています。辛いとき、絶対に諦めないでください。きっとうまくいく思います。




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