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合格体験記

合格体験記 vol.31

【ペンネーム】ともひろ


2010年3月 東京都 私立芝高校卒業
2010年4月 早稲田大学 政治経済学部 政治学科 AO入学


高1(志望校:一橋)


中高一貫校であったため、中3、高1の頃は中だるみのときで、勉強よりも吹奏楽部・文化祭実行委員・体育祭実行委員に勤しんでいた。
塾も通わず、学校で課された宿題もやらず、ひたすら楽器吹いたり、文化祭のパンフレット作り、体育祭のパンフレット作り……
今思えば、一番自分の時間があったときだったと思う。4階の教室でサッカーして窓ガラスを割ったのはいい思い出。いろんな先生に名前が広まりました。

〈志望校について〉
受験が本格的に始まるまでは、漠然と東大や一橋といった国立を目指していた。
理由は
・周りがそのような風潮だったから。
・家族と成績で衝突することがあり、父親(早稲田法学部)を超えたいと思っていた。
・国のために働いている国家公務員が漠然とかっこいいと思っていた。


高2(志望校:一橋→早稲田大学法学部)


高1の成績が悪く、高2のクラス振り分けの際は文系で下のコースになった。
学年順位は280人中100位ぐらい。社会科目・国語ができないのによく文系目指したな、と思うが、それ以上に高校の数学に追いつけていなかった。
イベントなどに参画できるのが最後の学年ということでクラブでは副部長をやったり、文化祭実行委員の幹部になったりと高1のときとあまり変わらない生活をおくっていた。
夏休みもほとんど勉強しなかったが、その分イベントに全力を出すことができ、先生などから高評価をいただいたりと悔いが残らず無事終え、部活も引退し、気持ちよく9月から受験生になった。


■〈志望校について〉(一橋→早稲田法学部)


・現実として、勉強は全然好きではないし、7科目バランスよく勉強することが不可能だと思った。
・まず、自分が行きたいを学部を考えた場合、法律を学びたい(まだ検察官や国家公務員にあこがれていた)というのがあったため、法学部を決めた。
・法学部だと数学受験が存在しないため、数学が得意な人と苦手な日本史で戦わないで済む、と判断。
・私立文系で早稲田と慶応が浮かんだが、昔から早稲田の法学部は評価が高かったため、早稲田を選択。4年間同じキャンパスというのも魅力的。
・一応、慶応も視野にいれてました。

■高2・冬(早稲田大学法学部)


冬休みからZ会の御茶ノ水教室に通いはじめ(とった科目は日本史と英語・文法)ていたが、そのころちょうどAKBにはまってしまった。(ちなみにそのころは大島優子を推してました)
劇場に通いつめる、などといったアクティブな行動こそおこさなかったが、メンバーを把握しようと調べたりと無駄な冬休みを過ごした。

〈英語〉
・地元の塾に通っていた。
・文法と長文を中心に解いていた。
・週1、1コマ=4時間
・後ろの席に座って寝ていた。

〈日本史〉
・Z会御茶ノ水教室に通っていた。
・原始時代から奈良時代あたりをゆっくり通史。
・自宅ではZ会の日本史の参考書を1日1ページずつすすめていた。

〈国語〉
なにもしていない。


センター試験同日体験受験(東進ハイスクール)

英語=146/200 偏差値=65.1
国語=150/200 偏差値=66.0
数学1A=30/100 偏差値=42.0
数学2B=28/100 偏差値=47.1


■高2・2月


2月にうけた全統高2記述模試があまりにも悪くて、「そろそろ本腰いれないとやばい」と危機感を感じた。
全統高2記述模試

・英語 点数=101/200 偏差値=60.2
・国語 点数=83/200  偏差値=56.4
・数学 点数=92/200  偏差値=56.4

〈英語〉
塾の教材をちょろちょろ復習することしかしてなかった。
宿題があったが学校の授業中に内職としてやるぐらい、適当な気持ちで宿題をおわらせていた。
実際に受けてみた感想として単語がわからないせいで解けなかったのでこの時期に『単語王』を購入して覚え始めた。
文法・語法はZ会の参考書を購入。

〈国語〉
まだ未対策だった。
慶応も視野にいれていたので学校で行われた小論文の授業を真面目にうけていたぐらい。

〈日本史〉
Z会の授業をうけて復習+学校の授業の復習+自宅でZ会の参考書を使って勉強していた。


■高3・4月〜7月


いよいよ高3になり、体育会系の部活も引退を迎え、学年全体が受験の空気になった。
体育祭実行委員は高3が最高学年だったので参加しようと思ったが、実行委員に参加したことで受験失敗ということにはなりたくなかったので辞退した。
基本的に自分がどんな勉強(勉強方法)をしているか人に明かしたくなかったので、極力自習室などには行かず、自宅で学習した。
この時期に通信教育のZ会を申し込んだ。一番後ろに成績優秀者は名前が載るので自分の名前が載れるように目指した。初回で早速、英語と国語の成績優秀者で名前が載った。
通信教育では、早慶英語・早大国語・早慶日本史・速読英文というコースをとり、締切までに添削を提出するようこころがけた。
(ちなみに僕の高校だと高校3年生になると私立コースができ、英語、現代文、古文、漢文、世界史or日本史(数学)+体育の授業のみ受けるだけでよい。毎日4限で授業が終わる。)

〈英語〉
・塾では先生に指される一番前の席に移動した。問題の解説が終わるたび、解けた人は手を挙げるシステムだったので、すべての問題で手を挙げることができるよう努力した。
・参考書は『単語王』『解体英熟語』『文法・語法のトレーニング』『ポレポレ』『速読英単語上級編』『最難関大の英作文』『英作文のトレーニング入門編』などを使用した。
・法学部や政治経済学部、慶大の英語では英作文がポイントだったので、学校内で有名な先生に英作文の添削をお願いした。(夏前までに英作文のトレーニング入門編を2周した)
・なるべく単語や熟語、構文は早めに1周できるようこころがけた。
【習熟度】
学校の授業で早稲田大学の教育学部の問題を解いたり、明治大学の政治経済学部の問題を解くことがあったが、6〜7割はとれるようになった。

〈国語〉
・学校の先生にお願いし、早稲田大学法学部の過去問20年分の現代文を4月から解き始め、個別指導してもらった。早大法学部志望が僕を含めて2人しかいなかったので二人三脚で法学部の国語を攻略しようとした。
・週1回は時間をかけて現代文を解き、個別指導の際は「問題をとく」というより「文章の内容を完全理解する」というスタンスのもと、わからない文章や意味があったらすぐ聞いて、納得いくまで先生と話した。指導は解説だけで3〜4時間に及んだ。
【習熟度】
勉強を始めたばかりだったので相変わらずできなかった。

〈日本史〉
・Z会に通って早めに通史を終わらせつつ、学校では細かいところまで教えていただいたので家ではその復習をした。
・Z会の授業中になぜか僕が指されることが多かったので、いつも答えられるよう、授業に望む際はその回の予習と先週の復習をした。
【習熟度】
授業で習った1週間前後は流れや単語を覚えていたが、すぐ忘れてしまい、困っていた。


【AO】
一般試験に向けて勉強していたら、AO入試という形で政治経済学部に入学する機会があることを母親から知った。
僕は乗り気ではなかったが、「全部の試験方式を受けて、受験失敗したほうが、受けずに失敗するより後悔しない」と母親に諭され、一応AOも考えておこうと思った。
そのため、夏休みは河合塾の『政経AO対策コース』という、5日間でAO入試がどのようなものか把握するための夏期講習を申し込んだ。


■高3・夏休み


父親が海外(イギリス)赴任、加えて妹がイギリス留学、母親が遊びにイギリスに行ってしまったため、夏休みは実家で一人暮らしという日々を送った。
はじめは家事をして、なおかつ勉強をしてという過ごし方にとまどいを覚えたが、徐々に慣れて、うまくバランスをとりながら(とはいうものの結局家を豚小屋のように荒らした)過ごした。
学校から「夏休みは700時間勉強☆」という目標が与えられていたため、ひたすら700時間勉強達成しようと努力した。
基本的に1日12時間勉強し、余裕がある日は17時間やった。(実際に17時間やって効果あったのかは疑問)
結果、680時間ぐらいしか出来なかった。(AOに対して100時間、一般に対して580時間)
毎日受験失敗する夢を見ていて、基本的に4時間睡眠だった。

〈英語〉
・4〜7月にしていた勉強法と変わらないスタンスで行っていた。
・『ポレポレ』や『速読英単語(上級編)』など、レベルが高いものにウェイトをおいた。
【習熟度】
過去問などは解いてなかったが、2000字ぐらいの長文を読むことは苦ではなくなり、文法も間違えなくなった。
熟語が覚えきれず、問題を解いても正当率は低かった気がする。

〈国語〉
・4〜7月と変わらないやり方で勉強していた。
・夏休みではあったが、学校に通って個別指導を受けていた。このころになると法学部の問題は60分で解けるように心がけた。
・他に駿台の『現代文(難関私大編)』という参考書を使って数をこなした。
【習熟度】
・この時点で早稲田の法学部の過去問や、センターの過去問などを解いており、大学試験で出てくる国語の文章のパターンを把握できるようになった。
→→センターの問題の冒頭の一段落を読むだけで文章がどのような展開で終わるのか、どのような設問があるのかわかり、一段落を読んだだけで満点を取れるようになった。(実際はひと通り読むが)
→→また、法学部の要約問題も添削していただいていたため、要約の力もつき、東大の要約問題もとけるようになった。

〈日本史〉
・学校で配られたプリントを復習したり、自分で購入した問題集を解いたりした。
・Z会の夏期講習でひと通り通史を終わらせた。
・山川の教科書を読みなおした。
【習熟度】
どこの時代を解いても正答率が5割くらいだったと思う。すこし焦っていた。
文化史が覚えられなかった。


【AO】
河合塾の対策コースを受けるまでは何の対策もしていなかった。
講習もめんどくさいと感じており(志望理由書の書き方と過去問の解説)、たった5日間の講習なのに毎日遅刻していた。
過去問も解いたが英語 23/100 日本語 22/100 という出来だったため、本当に受けようとは思わなかった。
ただ、この時政治経済学部という学部にも興味を持ち始め、一般で受けてもいいかな、と思い始めた。

9月の河合塾 全統記述模試

・英語=150/200 偏差値=71.9
・国語=103/200 偏差値=62.4
・日本史=73/100 偏差値=63.9
・私文偏差値=66.1

早稲田法学部  E
早稲田商学部  E
早稲田国際教養 B
明治政治経済  A


■高3・秋


AOを受ける気はあまりなかったが、せめて大学入試の場慣れ程度に受けようってことで、AO受付締切4日前に学校の担任に調査書を急いで作ってもらい、高2の際の文化祭(パンフレット制作)とメディアを絡めた500字にした。
締切日の19時に郵便局に行って申し込んだ(笑)。
母親が「経済のほうが多く合格するから経済学科にしなよ」と勧めてきたが、政治・法律を学びたかったので倍率が高くても政治学科を選択した。
9月にうけた模試の日本史が思ったよりよくなかったので日本史に時間を割くようにした。

10月 全統記述模試

・英語=153/200 偏差値=69.8
・国語=106/200 偏差値=62.2
・日本史=63/200 偏差値=62.9
・私文偏差値=65.0

早稲田法学部 E
早稲田商学部 E
早稲田国際教養 C
慶応法学部  E
明治政治経済 A

※日本史は改善されませんでした。


【AO試験日当日】
当日の朝は試験に間に合うよう起きたが、正直時間の無駄だと思い、受験するのをやめようと思っていた。
が、母親に「受験料がもったいないから受けてきてくれ」と言われたので、日本史の参考書と受験票と筆箱と時計を持って試験会場に向かった。
ちなみにAOの試験は英語と日本語の小論文があり、各120分で解かなければならない。

【英語】
(うる覚えだが)イギリスのニューズウィークの記事で「監視(カメラ)社会と自由について」というような内容だったと思う。
たまたまテレビで似たようなことを特集した番組を見ていたので、抵抗感なく読みすすめ、設問も問題なく解けた。

【日本語】
「社会保障について」だった気がする。
英語より理解できなかったが、空欄がないように心がけた。
入学してわかったことだが、自分が書いた文章がマルクス社会主義と同じ考えだった。

休み時間は日本史の参考書(金谷の一問一答)をひたすら解いていました。


■高3・11月


放課後、誰もいない教室で日本史を勉強していたら突然親から電話が掛かってきて、電話にでてみると母親が「一次通過してたわよ!」と叫んでいた。
うれしさのあまり、その日のZ会の日本史の授業は休み、早めに帰宅して一次通過の通知に喜んだ。
ここから一般の勉強はしなくなった(笑)。

【AO】
というのも、一次試験合否通知から2週間後に二次の面接があったため、面接対策に全力を注がなければいけなかった。

〈面接対策〉
・予想問題集(聞かれそうなこと100題ほど)を作った。
・なぜ政治経済学部なのか、なぜ慶応ではなくて早稲田なのか、なぜ東大ではなくて早稲田なのか、など志望理由も質問の意図に分けて色々つくっていった。
・受けがいいような答えをつくるよりもありのままに答えていた(例:最近読んだ本は  という質問に対しては新書を言うのはなくて実際に読んでた刑事小説を言うようにした)
・問題集は覚えなかった。
・学校の先生に模擬面接を行ってもらった。

【二次面接】
制服で試験会場へ向かった。どんな質問がくるかまったくわからなかったが、わからないときはわからないと答えようと思っていた。
受験番号順だったため最初に面接をうけた。
・「あなたの志望理由は」という質問に対して「なぜ政治経済学部なのか」という意味だと思って答えたが、「あなたの言っている意味がわかりません」と言われて激しく動揺。
「なぜ慶応ではなくて早稲田なのか」「なぜ東大ではなくて早稲田なのか」を立て続けに述べて難を乗り越えた。
・「もしあなたが早稲田について見出しを書くなら何と書きますか?」という奇抜な質問を受けたりしたが、すべて答えられた(と思う)。
・基本的にリラックスしていたため、面接官を笑わせようというスタンスで望んだ(笑)。実際、2回ほど笑わせることに成功した。


■AO二次面接の4日後



発表は朝10時で、母親がHPで確認して合否のメールを送ってくれました。
母親から「サクラサク」というメールが来たとき、古文の授業でしたが思わずガッツポーズしました。
AOをうけたことを友達のだれにも言っていなかったので、ガッツポーズしている僕を理解できなかったと思います。
そのあと「気持ち悪い」と偽ってトイレに駆け込み、母親と電話して合格を再確認しました。
「不安だから合格した受験番号が載っているサイトを写真撮って携帯に送ってくれ」と頼みましたが、ピンボケで番号すら判断できない画像が送られてきました(笑)。


■補足


文章を振り返ってみると、すごく真面目な受験生だったように見えますが、決してそうではありません。
深夜番組観て勉強して3時に寝たり、全部の授業を寝て過ごしたり、体育しか受けないで帰ったり、眠いから2限の時間に登校したり、4限で授業終わったあとはサッカーしたりと、基本的にやりたいように過ごしていました。
(家族全員がイギリスにいたことをいいことに、平日なのに家で爆睡して授業全部さぼったこともあります。その後先生から安否確認の電話きて親にバレました。)
先生に「お前は遊びすぎなんだよ」って言われたほどです。学校では学校行事以外では目立ったことをしておらず、AOも応募することすら先生に止められていました。


■最後に


一般入試で法学部の合格を目指していた僕ですが、ひょんなきっかけでAOで政治経済学部に合格できました。
AOの対策も特にしていませんでしたが、普段父親と最近起こったことや、政治経済について、メディアのあり方についてなど多岐にわたったことを週末に2~3時間議論していたことが思わぬ形でAOに結びついたと思っています。
また、法学部の問題を解き続けることで(一応)論理的な読み方や、思考ができたのではないかなと今振り返ると思います。
どんなことが何に結びつくかなんてわかりません。自分のやりたいようにすすめ、(アドバイスを取捨選択しつつ)後悔しない受験生活を送ってください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。




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