マツリバナシ。

早稲田祭をもっと楽しくするウェブコラム

DSC_0019-1500x1004
マツリ×妄想①

児童文学研究会が書くマツリの世界。

早稲田大学児童文学研究会

人ごみは少し苦手だから早稲田祭がなかなか楽しめなくて悲しい……早稲田祭に行きたいけど行けない……と言う方に朗報です。早稲田祭にいけなくても、小説を通して非日常を味わえるかも! 題して「マツリ×妄想」。
児童文学をはじめとして純文学、詩、YA等幅広いジャンルを扱っている総合文芸サーク ルの早稲田大学児童文学研究会さんに小説を書いていただきました!小説の創作や読書会、読み聞かせなど様々な活動をしていらっしゃるサークルさんです。是非、お楽しみください。

 


 

『Before “Schein Alter der Trennung/Roll PrayinG』

 

 たとえば赤い葉っぱと書いて紅葉という意味だが、もみじ、という名前の木はどこにもない。
銀杏は地球の歴史上に僕達が産まれるすこし前から、ずっと似た形のまま根付き続けている。
そこにあまた意義の有無は問わない。僕の分かっているものを取り出して合理的な思考で脳を埋め尽くしておかないと、夜の林のさざめきに、情けなくも押しつぶされそうだった。要するに置かれた状況の全てを要約できてはいないが、迷子だった。今までだってそうだった。
異郷の土地に引っ越してきたその日の夕方、学校の外れと思っていたうちに迷いこんだ場所。ひらひらと誘うはじめの落葉が、天に彼を惹き込む手に思えるし、立ち並ぶビルの間を縫い、しっかとイヤホンで耳を締めて闊歩すれば何者でもない誰かになれる、と道なりをつけたばかりだったのに。
父の仕事の都合など起こる訳ない、同じ暮らしがずっと続いていく、と思うのがばかだったんだ。
それでなくても、透は今までの人生で訪れた森の中で、異界から覗きこまれているかのような恐ろしい妄想に囚われてきた。

「—そうだよ。」
言葉に顔を上げたことで、うつむいていたんだと気付いた。この国の首都を擁する地から電車で数時間かけて到着し、難しい書類を左右に運ぶ両親に、お前はこれから住む町を見てこいと厄介払いじみて追い出されてプライドが折れかかったまま、僕–透は、満身創痍の心と、それを人形に入れでもしたかのように気持ちから乖離れた健康体そのものの身体で、そこにあった神社と少女の言葉ではなく声を聞いた。
「鳥居の向こうには、神様の世界が拡がっているんですもの。」
「え?」
内心の動揺は少女に悟られてしまっているだろうに、この期に及んでごまかそうとするのは滑稽だったのだけど。
神社の入り口の柱の足元にちょこん、と⻑く白の手足を揃えて屹立する彼女も一瞬遅れで話しかけたことを後悔し逡巡し、笑いでごまかすことを選んだ。
いつのまにか満天の星空が浮かび上がっていて、あらゆる虚飾を許さない風が冷たく通り抜けてゆくのが心地良い。
四方を山に囲まれた谷間の街は、気流だかなんだかの関係で、少し前に終わった夏でもそこまで今と違う陽気にならないらしい。
「あなた、今なんて?」
「…どこかに行けそうだよね、って、ことを言ったの。」
「なんで、いきなりそんなことを?」
その言葉に脈略がなかった『はず』なのも、また確かなことで。
「薪も馬も経済を回すのには要らなくなった人間様は、それでも癒しを森に求め続けてる。 いや、求め始めた、のか。神様の罰を引き受ける覚悟もないのに。自分で移り住む意思も ないのに、」
長い内容と反比例して尻すぼみになっていく口調が、言葉の中身とは裏腹に変革を何かに 糾弾してはいない–かのように、透には感じられていた。
「–君は?この辺の人じゃない、よね?遠い所から来たんでしょう?」
「西條透、15 歳。××高校に通うために、△△市から引っ越して来ました。」
「え、君が高校生!?」
「…よく言われる。」
それでも。この世にたくさんある『分からないことたち』を、分からないまま放っておく ことができるのも、分かることだけに浸っておくことが癖になっているのも、全て透という男の特徴なのだった。この人が何かをごまかそうとしているのなら、舗装されたどぶ川を流れてゆく枯れ葉のように透にはどうでもいいことだった。現代の女性としては平均的身長に位置するであろう少女と同じような背についた童顔ぎみの眼鏡。
「それならば、同級生になるんだね。わたしは結城彩。色彩の彩って書いて、彩。これから、よろしくね。」
何に便宜を図るというのだろう。ただの同級生のくせに。透は、大人や、この年代以上の女性や、帰郷した田舎の人びとに特に多い(彼はそう思っている)そう言った類の嘘が嫌いだった。それでも、たとえば赤い葉っぱと書いて紅葉という意味だが、もみじ、という名前の木はどこにもない。銀杏は地球の歴史上に僕達が産まれるすこし前から、ずっと似た形のまま根付き続けている。この土地のいいところなんて、なんだ、いっぱいあるじゃないか。今まで何度も自分に言い聞かせたはずの言葉が今はすんなりと胸から溢れ出てきた。なぜか–なぜか。

どこかに行きたい。新生活に透が慣れた頃、なんでもないことのように言ったのは君の方だった。
十月の運動会のポスターの募集に応募することを決めたのに深い理由があるわけではなかった。どうせこの時期に増える体育はつまらない、し。
この地で「つくった」友人たちも含めて、増えれば増えるほど透にとってやる意義を磨り減らされるライバルだけはそう多くはなかった、から。
中学に続きまた選んだその選択肢は、もはや予定調和の域だった。
そんな訳で街のマクドナルドで頰杖をつきながら描き上げられた、締切当日に学生鞄に入ったその紙の中では、骨格がわずかに狂った人間たちが画面奥、中央少し左上の赤いゴールテープに向けて走っている。 作者にとっても四割程度の評価にしか値しえない失敗作だった。「ねえ、西條透くん、で合ってるよね?」そのことを忘れかけた頃、好きでもないアイドル写真集の話題に乗っかれずにいた昼休み、懐かしい顔が声を掛けてきた。それは女子と話すなんて気恥ずかしい。瞬間躊躇った少年は、笑うように覗き込んでくる友人たちに鬱陶しさを覚えつつ顔をあげると、少女の姿よりもそれを影としつつ窓から差し込む昼下がりの太陽が目に当たった。
「なん、でしょう。」
林で迷ったあと自力で帰った少年は、あの日に会った少女の姿をやっと認めた。あれから当然のように特別に接点があるわけではなかったが、彼女の白みがかった手にはもっともっと漂白剤でまっ白い紙に印刷された同好会新設願いが握られていた。ぷんとコピー紙特有のあの匂いが香っていた。
ならば想定しうる用事はそう多くなく。その通り、少女は美術同好会の新設を企画している、と懇切丁寧に説明を行った。ペンを取り出す。
「西條透。僕の名前を貸すだけでいいの?」
「うんまあ、そう、だけど。」
歯切れの悪い返事。困らせるために言った訳でもなく、困ってもらうための言い訳でもなく、名前を幾数人の中に溶け込ませるための癖が口をついて出ただけのことだから、未だに部活に籍を置いていない透にとってもそれはさほど大事なことではなかったのだ。
どうせ前の学校でも、表層を課題に縛られるだけで進むことのちっとも感じられないような、活気のない美術室で放課後を過ごしていた。
帰宅部に籍を置こうがそうでなかろうが、ほぼ等距離で並び立ち続けるビル街のように僕はただ消化試合のように描き続けるだけなのだろうから同じようなことに思えたのだ。沈黙。
「今先輩の伝手を辿って3人集まってるんだけどね、」
「じゃあ僕を含めて後2人だ。」
「ちゃんと活動してくれる子は1人しかいないの。」
日々をどうやって過ごそうと、それはさほど大事なことではなかったのだ。だから入部するよ、と返そうとした言葉に鏡のように反射してきたのは、「それにあなたの絵は嫌いじゃない」と、社交辞令のような言葉だった。透だって嫌いではなかった。そうでなければ、透は単なるマゾヒストだろう。むせ返る青い空の中の逃走。彩は絵をそう形容した。ほんとうは嫌いだった、と打ち明けられたのは、やっぱりやけに日光が眩しい白い曇り空 の下の美術室で。自分が好きになれなくても、誰かが好きになってくれるはずだ、そういう姿勢が大嫌いだった、と。
率直に語ってくれているのは、要するにそういうことだ。
「何で私が絵を描いてるかわかる?」
そう言って取り出された都会の美術学校のパンフレット。
「–どうしてそこに行きたいの?」
答えはすぐにはなかった。
少女よりも、学校の誰にも絵を描いているところを見せた覚えは、あの時先ほど述べたようになかったから、不思議に思いながら。 狭い世界の中の運動会のポスター争いは、どれだけ彩を応援したいか、またその作品を崇 めたかわからないぐらいだったが、彩も透も名を知らなかった誰かが勝ち取って終わった。

そんな日々を思い返しながら、ぼくは約二年後あの日走ったような気がする坂道を走っていた。
まるで子供みたいじゃないか。ところで光速には程遠いから、相対性理論とやらの結論に拘束される訳もないぐらい、走ったって歩いたってもはや辿り着く場所は同じだからこれはただの気分だった。
満天の星空は、もはやあの時のように美しく笑いかけてはこないし、道の先で立ち止まっている影は振り向きはしなかった。
昼間に第一志望に落ちたという連絡をほとんど黙って僕が電話で聞いたきり、夕方まで連絡が取れなかった彼女を探して欲しい、と慌てて連絡を入れた結城の父は、普段まるで彩の話題にのぼらない人だった。
だけどまるで彼を責めることができないことぐらい、さすがに僕は理解している。だって彼は何の言葉も用意しないまま、冒頭の坂道に戻るのだから。
「—透くん?」
ぴくりと音を聞き動かした背中はやっぱり透と似たり寄ったりの背丈で、だけどやっぱりずっと巨大に見えて、透には声がかけられそうにない。
「喧嘩したんだろ、あのオヤジと。」
それでも絞り出す。言葉は空しく数センチ先の空へ消えるように思えた。
「自分を構成する何もかもが、誰かの妄想でできている、って考えたことある?」
そのくだりは、似た話を何度も聞いた覚えがある。
「—俺も、みんなそうだよ。」
「それすらも、そのみんなすらも、全部妄想だとしたら、きっと世界は平和だろう。」
結局僕等が焦がれていたのは絵具でもなかったのか、でも誰かの世界が色付いたのなら、色を付けた者にとってそれは意味のあるものだったのか、記憶を難破した船の積荷のようにひっくり返す。
「—父さんは、いい人だよ。」
「違う。」
透はそこで今日会って初めて、まともに意味の分かる戯言みたいじゃない言葉を発した。振り向いた人は泣いたような怒ったような顔をしていて、この人は誰だろう、と透は思った。
「ごめん、帰るよ。」
なのに君は道を踏み外す気配すらないじゃないか!轟々と北風が啼いて、結局世界にあるのはかぶと虫とか花や猿と、僕たちの決めたルールしかない。
いくつの祭りを終えても、彩と透の通る道は変わらず続いている。

 

END

page top